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044 見守りアプリ『OMAMORI』(2023)

043 誕生日(2021)

 お母さんのいない誕生日を迎えたよ。 もう一月だね。でもなんだか全然寂しくないよ。 いつもそばに感じてるからね。 まあこの年になると誕生日もどうでもいいんだけど今年は特別だね。 親より先に死ぬのは親不孝だと昔から言うけどまさか俺がこんな形で親孝行達成だよ。 全然うれしくないよ。当たり前だけど。 お母さんは健康な体で生んであげられなかったと思ってたみたいだけど、生まれつきの病気で52才だよ。しかも何度か心臓が止まるほどの危機さえ止まってない。 見た目より強くできてるよ。 先月の4日やばかったよね。 カニューレがつまり俺は気を失った。 お母さんがただ事じゃないのを察知してベッドから来てくれて助けてくれたね。 気がつくと驚いた顔のお母さんがいた。 お母さんの必死の吸引で塞がってたものがとれかすかな自発呼吸で俺は意識が戻った。 あっけにとられたお母さんは呼吸器をつなぐのさえ忘れ意識が戻った俺を見て安心していたね。 呼吸器と俺が合図すると我に返り慌てて呼吸器着けたね。 あのまま終わってても俺は悔いはなかった。 でも助けられた。助かったと言うことは俺が何かをやれとかやれるとかそんな感じかなとも思えた。 お母さんがなくなる10日前の出来事だから俺を助けるために帰ってきてたんだね。 先日友がお母さんに電話で言ったように夢を叶えるべくやり始めるよ友と。 でもこの友が夢が素晴らしすぎて俺いくつまで生きてりゃそれ見れるんだよっ。 友よ小さな事から広げていこうぜ。 しかしコロナのせいで小さな事も難しいね。 お母さん無茶な話だけど投資家紹介してよ。 お母さんの味の店作りたいんだよね。 お母さんの味を知ってる人は皆言うよ優しい味だったって。 お母さんの料理には俺のアイデアもいくつか入ってるやつあるんだよね。 いろんな人に食べさせたい。 夢がすこし動いたらまた報告するよ。 042

042 YouTuber(2020)

2020年11月13日(金)にYouTubeチャンネル 『みねちゃんねる』 をはじめました。 2019年あたりオリンピック前にオリンピックの歴史を調べだし、戦争のことなども調べたりしてるうちに江戸時代まで遡ることにしました。 さすがに戦国時代は面白いけどこの時代は詳しい人も多いので手を付けるのを止めました。 始めは書いた物を投稿サイトに投稿するつもりが、はやりのYouTuber見てたら文章の投稿より動画だなと思って動画作ることにしました。 しかし作の大変。 歴史、映画、アニメ、グルメ、家電、など色んな話題を投稿していく予定です。 041   043

041 脳梗塞(2018)

2018年1月21日 日曜 朝目覚めると目がおかしいことにすぐ気づく。 モニタ右側がかけて見える。 モニタを遠ざけないとモニタの全体が見えない。 おかしいなあと思いながらもゲームをしようとすると、ゲームの進め方がわからない。 この辺をクリックしてたよな見たいなあやふやな記憶。 こりゃ目がおかしいだけじゃないぞとなった。 母に目もおかしいけど頭もおかしいと伝えた。 現在、気管切開していて声が出ないため難しい口の動きは伝えられないため簡単な言葉になっている。 俺のかかりつけの専門病院は県外にあり、救急車はなかなか県外へは行かない。 日曜でもあり検査を受け入れる病院も難しいため月曜を待つことに。 自己分析で手足のしびれはなく頭痛もないのは自覚していた。 視覚も記憶もあやふやなのでなんとか迷いながらもビデオ再生してビデオを見た。 二日目も相変わらずの認知機能低下状態。 訪問看護師や呼吸器メーカーにも来てもらい救急車で検査へ。 すぐにCTを撮って頭に少し水がたまってるけど大丈夫と家に帰された。 自宅で点滴を打って様子を見てとかも何もなし。 認知機能の低下があるという話は聞いていたのか? なんとも恐ろしい話だ。 また県外の専門病院へ相談。 後日入院することに。 三日目になるとなんとなくゲームの手順を思い出してきた。 このとき今どう見えているのかとか、認知機能がどんな感じかというのをノートパソコンで入力して見せた。 CTを撮るとCT画像からもおっしゃってる症状からも脳梗塞で間違いないでしょうとのこと。 1月26日までずっと点滴。 一週間以内に再発するケースもあるらしくここは我慢して点滴。 点滴が終わり、8ヶ月ぶりくらいに体重測定。 ・・・・・・ななななにーである。 6キロほど増えてる。脳梗塞の引き金はこれだったか。 また二度、日を開けてCTを撮ったら日を追う毎にCTの影は小さくそして薄くなって行ってた。 10日ほどの間に4回もCT撮るので被ばく量は大丈夫か聞いた。 重病の人は検査で10回くらい撮ることもあるという。大丈夫ですと。 東北の震災の時、テレビで CTに換算すると・・・みたいな例え方をしていた記憶があり意外とCTって被ばく量多いのかと思ってた。 2月3日退院間近になって39.8度の高熱。 ...

040 しゃべらない生活(2017)

気管切開をしてからしゃべらない生活が始まった。 退院してから直ぐ、意思伝達装置(パソコン)を申請した。 このパソコンは日立の「伝の心」というパソコン。 http://www.hke.jp/products/dennosin/denindex.htm しゃべられなくなったので、この伝の心の登録した文字の読み上げ機能を使って用事を頼んだりしています。 このパソコンは、登録した文字の読み上げ、学習リモコン、メール、ネットサーフィンがワンクリック操作でできるようになっています。 細かい設定作業は普通のキーボード操作が必要です。 俺が利用してるのは、用事を頼むのとリモコン操作を伝の心で行っています。 伝の心操作解説 https://www.youtube.com/watch?v=l8_wotYvcoI メール・インターネット・LINE・ゲームなどは元々使っているパソコンで行っています。 伝の心の開発歴史 https://www.youtube.com/watch?time_continue=818&v=QzvLvH-38Vc https://www.youtube.com/watch?time_continue=970&v=0dfSXGj5P-U まぁこういう機器を使用して何とか必要最小限の意思伝達はできています。 ALSの方や言語障害の方など俺より意思伝達が難しい方も多いです。 しゃべられなくなって感じたのは、やっぱり孤独感。 例えるなら存在感の薄い転校生になった感じ。 周りに人はいるけど話しかけることも、かけられることもない。 言いたいことがいえなくなるというか少なくなる。 周りの会話にツッコミを入れられない。 どんどん言いたいけど入力が面倒。 伝えたいことの何割かしか伝えられない。 頑張って文字入力すればいいじゃんとか思うかもしれないけど、会話ってテンポだったりニュアンスだったりとかは文字入力では埋められない。 しゃべらないと言うことは会話すべてがデジタルなのだ。 つまり、目の前の人に用事を頼むのにメールを送るのと同じ文字入力が必要。 時にはちょっとしたことでも二度三度のやりとりを文字入力。 結構疲れる。文字入力に休みはない。 文字入力が大変なので家族との会話も少なくなる。 家族とそ...

039 気管切開(2017)

2017年1月、呼吸困難で入院。 直ぐに意識をなくし呼吸停止。挿管。 この挿管、昔は吸引の度に呼吸器を切り離して吸引していたけど現在は閉鎖式気管吸引になってて驚いた。これだと呼吸器を止めることなく吸引できる。 簡単に言うと動画ではわかりにくいけど、挿管カテーテルが二股になっていて吸引カテーテルが横から差し込めるようになっている。 吸引時、呼吸はしにくいが完全に止まってないので少しは呼吸できる。 陰圧をかけながら蒸留水を注入し、吸引カテーテルの内面を洗浄するという作業、手際が悪いとちょびっと蒸留水が気管に入ったりする。 たぶん蒸留水を吸いきる前に蓋をすると蒸留水が逆流する。 https://www.kango-roo.com/sn/m/view/256 小さい時からずっとだけど、血管が見えない綺麗なお肌なんです(^_^) もう病人には最悪。なぜなら採血や点滴など血管が見えないから。 とうとう人生初の鎖骨の所からの点滴をした。 これまであまりお目にかかったことなかったので知らなかったけど結構大がかり。 簡単に説明すると、メスで鎖骨の所に切り目を入れてそこに細いカテーテルを心臓近くの太い静脈に挿入してきちんと入ったかレントゲンで確認。 この施術は約30分くらいで終わり軽く部分麻酔もあるので普通の点滴より痛くないような感じすらあった。これが普通かなと思っていた。 これを中心静脈栄養法と言うそうだ。 二週間後くらいに身体の中にある点滴カテーテルの入れ替え。 主治医が研修医を連れてきてこうやってこうやってこうみたいな説明をして任せて出て行った。 三度の抜き差しとレントゲン確認。ようやく終わったの90分後だった。 もう勘弁してくれよと思ったけど挿管してるので声は出ない。 経験が少ないと難しい作業のようだ。 状態も少し安定してきたので一般病棟に戻ることに。 一般病棟に戻る時に気になる言葉を聞いた。 ちゃんと吸引できるナースを付けるから大丈夫ですよ。 一般病棟には重病患者は少なく挿管や気管切開の患者などいない。 おいおい不安しかないんですけど。 ICUの看護婦さんは重病患者ばかりなので普通に吸引はできる。 一般病棟に移り一度だけ吸引がうまくできない看護婦さんが一人いた。 相当痰が溜まって苦しいのだけど痰が吸引できない。 ...

038 呼吸停止(2016)

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2016年12月末、呼吸がおかしくなった。 息が半分くらいしか吸えなくなった。なんか半分くらい吸ったところで何かが詰まって吸えない感じ。 何度か咳き込んだら元に戻った。何か嫌な感じはしたけどまぁ元に戻ったからいいかと思っていたけど。 2017年1月13日、また息が半分くらいしか吸えなくなった。 咳き込んでも元に戻らない。息苦しさが増していく。 ちょっとヤバイ感じなので救急車で病院へ。 レントゲンや血ガス検査などするけど肺炎でもないし血ガスも悪くないと言うことで家に帰された。 息が半分しか吸えないので相当頑張って息してるのに帰されるとは。 家に戻ったらますます息がしづらくなってきた。 呼吸音がヒューヒューと音がするようになってきた。 往診の先生に診てもらう。もともとたまにヒューヒューと音がする事があった。 それが息が半分しか吸えない上にヒューヒューと音がする。 喘息症状のような感じなので気管拡張の喘息の薬(吸入)を試すが効果なし。 マジでやばくなってきた。 再度病院に受け入れてもらうよう電話をしてもらった。 症状が重くなってきてるので追い返さないよう念を押してもらった。 そして再び救急車で病院へ。 入院して点滴。息をするのがやっとで飲み食いができなくなっていた。 すげー濃い痰が出るようになってきた。 酸素の値が下がってきた。 母の頑張って息をしないと酸素の値が下がってるよという声が聞こえた。 その後直ぐ気を失った。 母の話によると その時ナースがそばにいて呼吸が止まりましたとなり 麻酔科の先生が駆けつけ挿管。 呼吸停止から挿管まで数分はかかる。 心臓が止まる前に挿管が間に合ったそうだ。 覚悟してくださいと言われたそうだ。 気がついたら一般病棟からICU。 ちょうどチンチンに尿の管を挿されてるところだった。 まだ意識が戻ったばかりであんまり痛くない。 挿管されたのは二度目なのでだいたいは把握できてたけど改めて母に聞いてみた。 口パクでどうなった?と。 まさか死にかけていたとは。でも弱って弱って死ぬ時って急に息が詰まって死ぬよりは楽なんだなと変な納得をしていた。 その後直ぐにドクターに挿管の管が少し浅く刺さっていると言った。 半年、挿管していたことがあるからベストポジションはよく知っている。 ...

035 3D映画の話し(2012)

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2012年2月、この年面白いのを見つけた。 これまで5.1chヘッドホンで音が立体に聞こえてすげーなと思っていたけど、 SONY HMZ-T1 3D対応ヘッドマウントディスプレイという3D映画を観る機械が売っていたので購入。 3D映画は普通は座ってみないとというかテレビ画面と同じ向きでないと見られない。 ヘッドマウントディスプレイは寝転ぼうが逆立ちしてでも観ることができる機械。 寝たきりでも楽しめる機械だ。 そりゃー少々高くても買う。40インチテレビより高い。 それでもかなり魅力的な商品。 想像してたとおりどのような体勢の人でも3Dが楽しめる。 視界いっぱいに映像が見えるのかと思ったけど視界7割程度の映像かな。 十分と言えば十分だけどもう少し大きく見えた方が好みだ。 このヘッドマウントディスプレイは俺の場合、自分では装着できないので少々大変。 視線が合うように人に角度調整してもらう必要がある。 お好みの3D映画を買って観た。 アバター3D アメイジング・スパイダーマン IN 3D バイオハザードV リトリビューション IN 3D バイオハザード4 アフターライフ IN 3D アイ,ロボット 3D プレデター 3D ターミネーター:新起動/ジェニシス3D アナと雪の女王 3D など。 二年後、HMZ-T2を買った。ヘッドホンが自由に好きなものを付けられるようになった。 下記のCMあまり良さが伝わってこないけどなかなかいい商品だと思う。 https://www.youtube.com/watch?v=VudKJUGZV4o ちなみにHMZ-T3も発売されたけどもう製造を中止してるのでこれ以上は流行らないような気がする。 3D映画は意外と少ない。 3Dでみたいと思っても3Dにされない映画が多いし、後で3Dにされる場合があるけどあとでむりやり3Dにされたものはあまり3Dに見えなかったりする。 3Dは近距離、中距離、遠距離に被写体が並ぶような構図がより立体に見えたりする。 そんなことまで考えて映画作りをするのは手間もお金もかかる。ということで3D映画は少ないようです。 今はVRの方が流行始めたようです。 VRはスマホを利用したものもありますし、VR映像制作機器もそんなに高くないものもあるよ...

037 胆管結石(2013)

 2013年11月、胆管結石になった。 午後3時頃なんか今までにない腹痛が来た。 最初は我慢できないほどではなかったけど、どんどん痛みが強くなった。 とりあえず往診の先生に診てもらった。 血圧180。痛いと言えば盲腸だけど痛いのは下腹部じゃなく胃の左横あたり。 え~~~~どうなんのというくらい痛い。息するのも辛いくらい痛い。 まぁ1時間くらいの痛みで止まってくれて良かった。 胆管結石になった話しをネットで見ると痛い話は直ぐ出てくるけど、言葉では言い尽くせないほど痛い。 血液検査をしたら黄疸がでている。 こりゃ大変だとなり緊急入院することになったんだけど、自宅で診察の時仰向きになったり横向きになったりしているうちに痛みが止まった。 でも黄疸がでてるので入院。 まぁ緊急入院といっても難病患者なので受け入れ先を探してもらうのも大変(^_^;) 入院直後は腹を押さえると痛みがある感じ。 CTを撮り後日、胃カメラを入れて胆管の入り口を広げる処置をする途中で息苦しくなり酸素が低下するので中止。 幸いその後、黄疸も良くなり痛みも出なかったので、10日ほどの点滴だけで退院できた。 036    038

036 ドラゴンクエスト10(2013)

2013年7月、ドラゴンクエスト10を始めた。 ドラゴンクエスト10 Windows版が初めて発売され専用コントローラーではなくマウスとキーボードで遊べるというのだからやるでしょう。やらないわけはないでしょう。 スーパーファミコン時代はドラクエをやっていたけど、俺がパソコンを始めた頃スーパーファミコンの時代は終わり、プレイステーションが主流になってきていた。 パソコンに金がかかっていたのでドラクエやるためだけにプレステを買うことはなかった。 ゲームをずっと続けていたら手の力も維持できてたかもしれないけど1993年あたりからゲームはしていない。もうコントロールを持つことはできなくなっていた。 そこへマウスとキーボードで遊べるドラゴンクエスト10が登場。 でも調べてみるとドラゴンクエスト10は昔に比べてずいぶんとアクション要素が強くなってる。自分で移動し、戦闘は動き回りながらの攻撃になる。 こりゃーなかなか難しそうだと思ったけど諦める俺ではない。 もう寝たきりなので両手で普通にキーボードというわけにはいかない。 現在、パソコン画面にキーボードを出してマウスでクリックして入力しているのだけど、このやり方だけではとてもゲームはできない。 これまでやったことないけどUSBの10キーと画面キーボードの組み合わせならいけるかもしれない。 想像通りこれでいけた。 設定などはこちらのページに書いてあります。 http://www2s.biglobe.ne.jp/~MINEO/dq10.html この設定でゲームはやれるようになったけどやはり画面キーボードで動作させるのはやや動作が遅れる。 見ず知らずの人とパーティーを組み冒険するには時には足手まといになったりする。 それでも面白い。ときには自分より不器用な操作をする人もいるので。 昔のゲーム、友達が一人でゲームができないので手伝って遊んでいたことがある。 コントローラーを二つ繋いで役割を分担して遊んでいた。 どういうことかというと、その友達は左右のボタンしか押せなかった。 だから上下とジャンプは俺が担当する。みたいなやり方。 一つのゲームを役割分担で遊ぶゲームもあっていいと思う。 最近のコントローラーはボタン数が多い。 手が不自由だとやりにくいというかやれない人が続出。 最近では...

034 輸入販売(2011)

2011年8月から輸入販売を始めて見た。 海外サイトから購入してヤフオクなどで売る。 海外サイトと日本のサイトの差額を見て輸入販売するやり方。 ちゃんと調べて売れそうなヤツなら損をすることは少ない。 それでどんなものを輸入するかだけど、あまり高いものは購入するのにリスクがある。 安いもので差額がある程度あるものを調べる。 ここでおもしろい自分の心理。 なぜか売り物として購入するものなのに、自分が欲しくないものは例え差額がわりとあっても購入したくない。 もし売れなかったら自分で使えるものと思っているからだろう。 それにデータを信用しきれずもし売れなかったらの心配がありなかなか手が出ない。 自分の心理のせいで更に更に購入できるものが狭まる。 厳選に厳選を重ねたものはまぁまぁ売れた。 誰もが使って差額がまぁまぁあり自分でも欲しくなるものなんてなかなかない。 長年かけて欲しいものはほとんど揃えている。 薄々感じてきているけど商売に徹しきれないのであまり輸入業は向いてない気がする。 それでも小遣い稼ぎ程度は収入になってる。 033    035

033 「プリ面ぐるみ」(2008)

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2008年1月、この頃はよく経済ニュースを見ていた。ただ新商品などの情報を見たいから。 テレビ東京系の経済ニュース番組「ワールドビジネスサテライト」のコーナー:トレンドたまごで『プリ面ぐるみ』が紹介された。 『プリ面ぐるみ』とは、15cmくらいのぬいぐるみに立体の顔写真をはめ込んだ商品。 おもしろい商品だなと思い販売会社に問い合わせて自分でも販売することにした。 立体の顔写真を作る機械とぬいぐるみの仕入れなどに二十数万かかった。 まぁぼちぼち売ればいいので何とかなるだろうと始めた。 ホームページを作り販売を始めたけどぼちぼちしか売れない。 しばらくした時、仕入れ先から神戸の東急ハンズで売ってみないかと言われた。 東急ハンズとの交渉はあちらでやってくれるという。 一日だけの実演販売だけど仕入れ先の人がわざわざ名古屋から出てきて売ってくれるという。 手慣れているから頑張って売りますというのを信じていたけど実際には数個しか売れずしかも何の報告もなしに名古屋に帰って行った。 売れなかったのを責めるつもりはないけど黙って帰るあたりが人間性を疑う。 そういうことをされると多く仕入れさせるための計画で売れようが売れまいがどうでもいいとしか思えない。 多分そういうことかもしれない。 元々あった在庫の上に更に100個以上の在庫。 こりゃ売り切るのにだいぶん時間がかかるな。 在庫は十分だけど売れるキャラは直ぐになくなるのでまたなくなった分を仕入れる。 そんな感じで在庫の減りは遅い。 知り合いの作業所のイベントで実演販売もさせてもらったこともある。 ぬいぐるみを選んでもらい、 その場でデジカメで顔写真撮影、 写真を印刷、 立体面を作成、 ぬいぐるみに立体面をはめ込みで完成。 1個作るのに5分以上かかる。 画像の明るさ調整と印刷以外は母がやったのだけど結構忙しかった。 ぼちぼち売ること数年、仕入れ先からぬいぐるみは止めてもう少し大きい置物的なものに立体面をはめ込んで売ることにしたとの連絡。 こちらは主体ではないので何も言わないけど事後報告だけって・・・。 まだ在庫は残ってるけど新たなぬいぐるみの補給もできないので2016年で止めることにした。 まだ在庫が残ってるので欲しい人は半額で作りますよ。 032...

032 骨折(2005)

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平成17年2月、呼吸器の調整で刀根山に入院していた。 この頃は寝てる時だけしか呼吸器をしてなくてフルフェイスのマスクを使っていた。 寝てる時だけの呼吸器では疲れがたまったり、昼間息苦しさを感じたりしてたので昼間も呼吸器を使った方がいいだろうという話になっていた。 それで鼻マスクを取り寄せ中だった。 昼間、フルフェイスのマスクではほとんど声がマスクの外に漏れず会話ができなかった。 19日土曜、フルフェイスのマスクをしたままトイレを済ませ、母がお尻拭き用のタオルを取りに行くためベッドから離れた。 その時、体が傾きかけてやばいなと思った。声はマスクで塞がれてて出ない。 俺は転がるようにベッドから落ちた。 うつ伏せに落ちた。足に激痛。あまりの痛さに息が止まった。 母は俺から離れて数歩しか歩いていなくて、ドサッという音に気づき振り返ると俺は落ちていて母は驚いて慌てて俺をベッドに上げた。 フルフェイスのマスクしてたせいで落ちたような感じだけど、フルフェイスのおかげで頭も顔も無傷。フルフェイスのマスクはヒビが入り割れた。 普通なら即レントゲンなのだろうけど土日はほとんど病院は休みのような状態。 痛い痛いと大騒ぎすれば何か変わったのかなとも思うけど俺我慢強いのが裏目に出て月曜までそのまま。 もう触られるのもだめ激痛が走る。まだパンツもはいてなかったけどそれどころじゃない。両足うごかせない。 母は夕方疲れた様子で帰って行った。 翌日いつもなら母が来るのだけどヘルパーさんが見舞いに来た。 母は夜中、過呼吸になり救急車で病院に運ばれていた。 ショックではじめて過呼吸になったようだ。 ヘルパーさんから月曜には来ると伝言を聞いた。 痛みはずっと続いてて全く眠れず。ヘルパーさんに痛み止めもらったらと言われもらって飲むけどほとんど変わらない。 月曜、レントゲンを撮った。 スッポンポンでレントゲンに行くと技師の人がスッポンポンですかと言うけど足が痛くて動かせないので仕方ない。 左足大腿骨骨折。右足大腿骨はヒビ。 両足にギプスをすることになった。 左足は折れ方が悪く普通なら手術の所、俺は歩かないし、手術はできないのでギプスで治るのを待つ事に。年が年なので治るのに時間かかるよと言われた。先週36才になったところ(^_^;) 骨折にいい食べ物を色々...

031 代理出品(2003)

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平成15年9月、神戸元町の貸しビルの社長さんと知り合い、1階の片隅を借りて友達とヤフオクの代理出品業を始めた。このビルの1階はディサービスやいろんな教室などを行える予約制の貸しスペースになっていた。その他の階は貸事務所になっていた。 社長さんが俺が自宅からも元町にいる友達とやりとりができるように監視カメラを取り付けてくれた。監視カメラは遠隔操作で向きを変えられるしズームも20倍位できて向かいの駐車場のナンバープレートも見えたくらい凄かった。 直ぐ近くの眼鏡屋さんの在庫処分を代理出品を毎週させてもらって、最初の頃は掘り出し物もあったりタレントがドラマで使用した眼鏡と同じものがあったりして高く売れたりした事もあった。 代理出品なので売ってほしいものを持ち込みで持ってこられたものも売っていた。 車、家具、ゲーム機、パソコン、アクセサリーなどなど。 元ではいらないけど高価な物は少ないし毎日以来があるわけではなくあんまり儲からない。 この頃は仕入れる事は予算的に難しかったので仕方ない。 ここでパソコンの修理も友達がやっていたけど客が少ない。 人通りの少ないところだったので仕方ない。 ホームページ制作の仕事もしていてロゴなども作ったりした。 このビルの貸しスペースの名称が「伯楽」。 30種作って選んでもらった。 社長さんがロゴを気に入ってくれてジャンバーも作ってた。   030    032

030 「有名人誕生日辞典」(2003)

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平成15年、おもしろそうなものを見つけた。 それはNTTコミュニケーションズのVポータル。 いろんなコンテンツを音声で聞けるところ。 コンテンツを作りませんかの募集もしている。 調べたらホームページを作る知識があれば作れそうだ。 作りたいコンテンツの企画書を送ると直ぐに通った。 内容は「有名人誕生日辞典」。 担当者の人に東京から来てもらい、NTTコミュニケーションズと契約書を交わした。 手元に入るのは売り上げの一割というのがちと寂しい。 話を聞くところによると肉声を使った方が人気があるそうだ。 さっそくデータ作り。 有名人の誕生日データを集めたら7700人になった。 このデータを読み上げる人を知り合いに探してもらった。 4人集まった。一人あたり単純計算でも2000人近くの名前を読み上げてもらい録音。 結構一苦労。日当はもちろん払ったよ。 「有名人誕生日辞典」は日にちを言うかプッシュするとその日の生まれの有名人を読み上げるし、有名人の名前を言うとその有名人と同じ誕生日の有名人を読み上げる。 録音が終わると後日から音の調整と日にち毎にファイルを分けて、名前を言えばファイル選択されるように、音声認識システムに7700人のデータを入力した。 これが結構大変だった。 最初のデータ集め、録音、調整、システム調整まで二ヶ月ほどかかった。 平成15年5月22日。 NTTコミュニケーションズのVポータル「有名人誕生日辞典」サービス開始。 平成23年10月まで運営してた。 あんまり儲からなかった。   ベスト5になった時もあった。 029    031

029 プロジェクト(2001)

平成13年7月、ボランティアの人に俺のホームページを見せたら助成金がもらえたらもっと大きな事ができたりするよという話を聞いた。 考えてもみなかった話だし、助成金をどう申請してもらうのかも何も分からない。 そのボランティアの人は大きな会社に勤めてる人でボランティア休暇でいろんな施設を回ってる人で色々詳しい。 さっそく助成金の申請の仕方などを聞いた。企画書が大事でその企画による効果を具体的にイメージできるような内容を書く事。 めっちゃ難しそう。 ただ申請内容は直ぐにイメージできていた。 ホームページを初めて作った時、バリアフリー情報を発信していた。 今回もバリアフリー情報で行こう。 さて内容をどうするか。平成14年5月に日本と韓国共催のサッカーワールドカップが開催される。試合地も神戸が含まれるので、これに合わせて神戸を中心としたバリアフリーの観光案内。いいかもしれない。 日本と韓国共催なので日本語、英語、韓国語の3カ国語のページにするといいな。 翻訳サイトの翻訳はやや怪しいから知り合いに確認してもらおう。 あとは調査するのに人手がいるのでボランティアの協力が必要だ。 さっそくボランティア捜しに出かけた。市役所やNPO法人コミュニティ・サポートセンターとかに相談に行った。 エアコンなしの事務所だった。自分のやりたい事、計画してる事を話、調査の協力をしてくれそうなボランティアを紹介してもらった。 後日会って話してみよう。 この事務所での話、エアコンが動いていないのと緊張でこれまでに経験がない量の汗をかいた。 二日後、野外でバーベキュー。美味しかったがまた汗をかいてしまった。 後日、痰が詰まるようになった。唾液もドロドロ。 痰は粘りが強く片栗粉が混じってるのかと言うくらいの状態。 やばい。窒息しそうと思ったので救急車で刀根山へ。 県外まではなかなか救急車は行かないけど専門病院でないと難しいという事で行ってもらった。 痰がつまりかけていたので救急車の中でもアンビューをしながらの移動。 病院に着いた時、救急隊員が「良かった。間に合った。」とホッとしていた。 病院に着くと直ぐに点滴。ドクターも吸引器がやっと引けるような痰を見て驚いていた。こりゃまた挿管だったり下手すりゃ気管切開とかになったりするのかとヒヤヒヤした。 二日ほどは看護...

028 昇降機(1999)

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平成11年5月。ここの住宅、1階に住んでるんだけど階段が5段ある。 外出する時はいつも板をひいて板からはみ出ないように慎重に上り下りしなくてはいけない。なんとかならんかなといつも思っていた。 ある日、誰かが県住だから県にお願いしてみたらと言う話になり、父が住宅公社に行き相談したら、県の許可が出ればリフトを付ける工事は可能だけどまだ事例はないという話。 県知事宛に俺が嘆願書を書く事になった。 写真付きで板を置いて上り下りしているけど危険を伴う事と親の補助も必要でかなり大変なのでリフトを付ける許可をくださいという手紙を出した。 許可は直ぐに下りて工事が始まった。 当時、祖母は神戸と広島の伯父の所を行ったり来たりしていてちょうど神戸に来ていた。 リフトの完成を見られるねと祖母と話していたのだけど、朝、祖母が自分の薬を取りに出かけて10分もたたないうちに救急車が家のそばに止まった。 何だろうとは思ったけど。 10分近く止まっていただろうかやっと救急車はどこかへ行った。 しばらくして家から離れた総合病院から電話があり祖母が亡くなったと告げられた。 道ばたで倒れた祖母は通りすがりの人に救急車を呼ばれ、救急車は祖母のかかりつけや行き先を調べるために止まっていたのだ。 たぶん救急車が到着した時には亡くなっていたようだ。 総合病院で死亡が確認された。 道ばたで亡くなったので解剖される事に。死因は解離性動脈瘤破裂。 後日、初めての火葬場にも行った。焼かれた灰にも何らかの生活感があるという話を聞いて祖母の灰を見ると散歩好きな祖母は足を鍛えていたので足の骨がしっかり残っていた。 神戸の俺のそばでぽっくり死にたいとは言っていたけどまさか本当になるとは。 趣味の多い祖母だった。詩吟、民謡、カラオケ、パチンコ、毎日の散歩。 祖母は俺の10才くらいの時の写真を死ぬまで財布に入れていた。 リフトの工事は結構時間がかかり10日後くらいに完成した。 027    029

027 インターネット(1997)

平成9年5月、ホームページ公開。 内容は自己紹介と関西私鉄のバリアフリー情報など。 バリアフリー情報はまだインターネット上では全くなく阪急本社にバリアフリー情報のホームページを作りたいので駅の情報をくださいとメールしたら直ぐに阪急関連の情報が載った本が送られてきてそれを元に駅のバリアフリー情報のページを作った。 http://www2s.biglobe.ne.jp/~MINEO/ 神戸の大震災前からアメリカではインターネットが行われていたそうで、日本でインターネットをしていたかなりマニアックな人が神戸の様子をアップした人がいて、神戸の震災を日本政府より先にアメリカの一般の人がインターネットで知ったという話があり、震災後一気にインターネットは有名になった。 それで震災後日本でも試験運用が始まりインターネットが始まった。 まだ当時はスマホがなかったのでパソコン使用者しかインターネットはできなかった。 026    028

026 呼吸器(1996)

平成8年11月、酸素吸入だけでは正常な呼吸ができず息苦しくなった。 もう専門の病院で診てもらわないとだめだと思い大阪の刀根山病院へ行き入院。 相当息苦しいとは思っていたけど睡眠時は酸素の値が60まで度々下がっていた。 危険な状態だった。 直ぐに呼吸器をすることになり調整に入った。 この頃になると呼吸器もだいぶん進歩して小型になった。 呼吸器は鼻マスクやフルフェイスのマスクを付けて呼吸の補助を行う。 初めての呼吸器なので調整の他、親が呼吸器を扱えるようになるための研修もあり一月以上かかった。 年末に退院するはずが、熱を伴う風邪をひき年明けまで入院していた。 呼吸器は無理をせずずっと付けていてもいいと言われたけど、自力で息をしないとますます弱ると思い、呼吸が弱い睡眠時以外は呼吸器を外し自発呼吸をすることにした。 またこれも自己判断のトレーニングメニュー。 025    027

025 熊本旅行(1995)

平成7年12月、この頃ずっと息苦しくなり甲南病院に入院。 呼吸が弱り自力での呼吸の限界が近くなってきた。 常時酸素吸入をするため調整に3週間ほど入院。 常時酸素吸入をするようになってから初めての旅行。 酸素吸入は自宅では酸素濃縮器という空気中の酸素を集めて濃縮した酸素を吸入する機械で酸素の補給をしています。 この機械があれば酸素ボンベの交換がいらないという便利なものです。 でも旅行となるとこの酸素濃縮器は常時電源が必要だし、機械の大きさも縦1m、横50cmくらいはあるので車に積んで旅行というわけにはいかない。 病院や酸素濃縮器のメーカーに相談したら、機械の支店に目的地に機械を用意しといてもらい移動中は酸素ボンベというやり方で旅行。神戸から大分へはフェリー。 平成8年7月28日~8月6日まで熊本旅行。 泊まりは親戚の家。阿蘇郡小国町。北里柴三郎博士生誕の地。 知る人ぞ知るど田舎。 熊本では国立病院に入院した頃からよく食事に通っていた柿原養鱒場に行った。 ここは釣り堀もあり釣った魚は買って帰れるし、料理も鱒料理のコースがある。 お座敷からは池の鯉を眺めながらの食事。結構景色もいいので旅行客にはお勧めです。現地の人は見慣れているので(^_^;) ニジマスの塩焼きと天ぷら、鯉濃の味噌汁が絶品だった。 昔熊本に住んでてここがお気に入りで久しぶりに来ましたと話したら女将さんがいらしてデザートまで出てきた。 普通は女将さん出てこないと思う。 ちなみに現在は料理はないらしい。 以前入院していた国立病院にも行った。 ちょうど10年ぶりかな。 だいぶん知らない患者に変わっていた。つまりだいぶん亡くなっている。 たまには様子をメールで聞いたりするのだけど実際に弱っている友達を見ると・・・。 自分も少しずつ弱ってるけどね。 久しぶりに田舎の星空を見た。 小国町は近くに工場もないので逆に気持ち悪いほど星が見える。 空も低い感じすらする。すごい星の数。 プラネタリウムにいるみたいだった。 024    026