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028 昇降機(1999)

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平成11年5月。ここの住宅、1階に住んでるんだけど階段が5段ある。 外出する時はいつも板をひいて板からはみ出ないように慎重に上り下りしなくてはいけない。なんとかならんかなといつも思っていた。 ある日、誰かが県住だから県にお願いしてみたらと言う話になり、父が住宅公社に行き相談したら、県の許可が出ればリフトを付ける工事は可能だけどまだ事例はないという話。 県知事宛に俺が嘆願書を書く事になった。 写真付きで板を置いて上り下りしているけど危険を伴う事と親の補助も必要でかなり大変なのでリフトを付ける許可をくださいという手紙を出した。 許可は直ぐに下りて工事が始まった。 当時、祖母は神戸と広島の伯父の所を行ったり来たりしていてちょうど神戸に来ていた。 リフトの完成を見られるねと祖母と話していたのだけど、朝、祖母が自分の薬を取りに出かけて10分もたたないうちに救急車が家のそばに止まった。 何だろうとは思ったけど。 10分近く止まっていただろうかやっと救急車はどこかへ行った。 しばらくして家から離れた総合病院から電話があり祖母が亡くなったと告げられた。 道ばたで倒れた祖母は通りすがりの人に救急車を呼ばれ、救急車は祖母のかかりつけや行き先を調べるために止まっていたのだ。 たぶん救急車が到着した時には亡くなっていたようだ。 総合病院で死亡が確認された。 道ばたで亡くなったので解剖される事に。死因は解離性動脈瘤破裂。 後日、初めての火葬場にも行った。焼かれた灰にも何らかの生活感があるという話を聞いて祖母の灰を見ると散歩好きな祖母は足を鍛えていたので足の骨がしっかり残っていた。 神戸の俺のそばでぽっくり死にたいとは言っていたけどまさか本当になるとは。 趣味の多い祖母だった。詩吟、民謡、カラオケ、パチンコ、毎日の散歩。 祖母は俺の10才くらいの時の写真を死ぬまで財布に入れていた。 リフトの工事は結構時間がかかり10日後くらいに完成した。 027    029