032 骨折(2005)

平成17年2月、呼吸器の調整で刀根山に入院していた。
この頃は寝てる時だけしか呼吸器をしてなくてフルフェイスのマスクを使っていた。
寝てる時だけの呼吸器では疲れがたまったり、昼間息苦しさを感じたりしてたので昼間も呼吸器を使った方がいいだろうという話になっていた。
それで鼻マスクを取り寄せ中だった。
昼間、フルフェイスのマスクではほとんど声がマスクの外に漏れず会話ができなかった。

19日土曜、フルフェイスのマスクをしたままトイレを済ませ、母がお尻拭き用のタオルを取りに行くためベッドから離れた。
その時、体が傾きかけてやばいなと思った。声はマスクで塞がれてて出ない。
俺は転がるようにベッドから落ちた。
うつ伏せに落ちた。足に激痛。あまりの痛さに息が止まった。
母は俺から離れて数歩しか歩いていなくて、ドサッという音に気づき振り返ると俺は落ちていて母は驚いて慌てて俺をベッドに上げた。
フルフェイスのマスクしてたせいで落ちたような感じだけど、フルフェイスのおかげで頭も顔も無傷。フルフェイスのマスクはヒビが入り割れた。
普通なら即レントゲンなのだろうけど土日はほとんど病院は休みのような状態。
痛い痛いと大騒ぎすれば何か変わったのかなとも思うけど俺我慢強いのが裏目に出て月曜までそのまま。
もう触られるのもだめ激痛が走る。まだパンツもはいてなかったけどそれどころじゃない。両足うごかせない。
母は夕方疲れた様子で帰って行った。
翌日いつもなら母が来るのだけどヘルパーさんが見舞いに来た。
母は夜中、過呼吸になり救急車で病院に運ばれていた。
ショックではじめて過呼吸になったようだ。
ヘルパーさんから月曜には来ると伝言を聞いた。

痛みはずっと続いてて全く眠れず。ヘルパーさんに痛み止めもらったらと言われもらって飲むけどほとんど変わらない。

月曜、レントゲンを撮った。
スッポンポンでレントゲンに行くと技師の人がスッポンポンですかと言うけど足が痛くて動かせないので仕方ない。
左足大腿骨骨折。右足大腿骨はヒビ。
両足にギプスをすることになった。
左足は折れ方が悪く普通なら手術の所、俺は歩かないし、手術はできないのでギプスで治るのを待つ事に。年が年なので治るのに時間かかるよと言われた。先週36才になったところ(^_^;)
骨折にいい食べ物を色々調べた。いつでも食べられて良さそうなのはチーズとカルシューム入りのウエハース。これなら毎日いけるので頑張って食べた。

 タイツではありません。ギプスです。


ギプスをして二日後くらいドクター達が慌てるようにして病室に入ってきた。
何事かなと思ったら俺の酸素の値がどんどん下がっていると。
苦しくないかと聞かれたけどあんまり分からない。
直ぐに酸素を付けられて少しずつ酸素を増やすが値が戻らない。
酸素の値が戻ったのは4リットル。かなりブクブクが凄い。
どうやら骨髄液とかが血管の傷から少し入ったらしい。
顔を拭いたり、マスクを変えたりするのに酸素を外すのだけど息をしてても息をしてないくらい苦しくやばかった。
呼吸が戻るのに一週間ほどかかった。

早く家に帰りたかったけど左足の骨が繋がるまでは帰してもらえなかった。
右足のギプスは一ヶ月でとれた。
左足は二ヶ月近くなりようやく退院の許可が出た。
あと一ヶ月くらいはギブスのままの生活。
一ヶ月後、やっとギプスが外れた。
結局、三ヶ月ギプスしてた。ギプスを外したら足は棒になってた。
電動カッターが結構熱くて怖さ倍増。

あれっ足曲がらないと思ったら、宙に浮いてた足が重みで自然と曲がったのだけどその時「ボキボキボキ」っと音と痛みが来た。
ギプス外れて良かったですねと帰されたのだけどリハビリどうすんのと思った。
関節固まってて可動範囲がめちゃめちゃ狭い。
友達が足の手術してリハビリしてるのを見たことあるので、また自己流でリハビリを始めた。我慢できる痛さの所まで曲げて数分我慢を一日数回やる。これを毎日やって一月ぐらいで元と近いくらいには動かせるようになった。

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