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006 入院(1977)

8月1日の午後。国立の病院へ行った。 病室はナース室の前、8人部屋。隣のベッドにはみねおくんより1歳下の子がいた。 他はみんな年上。 荷物の整理が終わってしばらくすると両親はみねおくんを置いて帰って行く。 母は泣きながら帰って行った。もちろんみねおくんも号泣。子供の時から声を出して泣かなかったので静かに号泣。 初めて家族と離れての生活。人生で一番辛かったのではないだろうか。 なんせ筋金入りの甘えん坊だ。この日まで母親のほっぺに手を置くと安心してすぐ眠るという、今流行の言葉を使うならルーティンだった。 何才まで続けるつもりなんだよと今の俺は突っ込みたい。 止めるきっかけとしては良かったのかもしれない。かなり辛かったけど・・・。 母がもし寝付かないときはそうしてやってくださいと頼んでいたのだろう。看護婦さんがしてくれそうになったが断った。だって知らない人で安心して眠れるわけがない。 その晩は眠くなるまで生い立ちなどをずっと看護婦さんに話していたと思う。 後日、よくしゃべる子が入ってきたという噂はすぐに広まった。 実際、病棟内で一番しゃべる子だった。 筋ジス病棟が2棟。みねおくんが入っているのは1病棟。約40名の患者がいる。 1病棟は元気な人たちが多い。歩ける人も数人いるし、床から車椅子へ自力で乗れる人もいる。みねおくんは病棟一しゃべるけどきちんと座れていざりができるくらい。 2病棟はおじさん達が多くもう少し大きくなるまで遊びには行けなかった。 自宅では自分だけが歩けないのが普通だった。 病棟ではほとんどの人が歩けない。 そういう病気の人が集まっているのだから当たり前なんだけどなんか違和感を感じていた。 普通の小学校ではできないことは友達が手伝ってくれた。 病棟での友達は自分と同じくできないことが多いので手伝ってはくれない。そこは看護婦さんが介助してくれる。 元気な友達が手伝ってくれるのと、看護婦さんが介助してくれるのは違うのだ。 うまくはいえないけど違う世界に来たんだなと思った。 前の生活がどれだけ恵まれていたのか子供ながらに感じていた。 おしゃべりなみねおくんは、数日でほぼみんなと言葉を交わすことができた。 自宅にいるときから大人と話すことが多かったので年上の人でも緊張なく話せた。 この病棟の最年長は10才年