022 危機 P.S(1992)

平成4年1月21日の入院時は本当に危険な状態だった。
チアノーゼがひどく朝、担当のドクターが来て呼吸器しますかと聞かれハイと答えたら挿管された。この当時はまだバイパップとかなくてとりあえず緊急処置で挿管。
意識ははっきりしていて、個室に入ってすぐテレビを借りるか小さいのであれば持ち込みも可能という事で、父に車載用のテレビを買ってくるように頼んだ。
車載用のテレビなら小さいからベッドのすぐ横に置けると思ったから。
もう声は出ないので父の手のひらに指で字を書き頼んだ。
この日は水曜日。どうしてもこの日テレビが必要だった。
なぜならドラゴンボールがある日だから。
この当時は看護婦さんも今日は悟飯ちゃんを見なきゃいけないから早く帰るといってた。
ちょうど悟飯達がナメック星に到着した時の話だった。
父は死にそうな息子の頼みなのですぐに買いに出たのだけど、水曜日は電気店は休みが多かった。神戸ポートピアランドのバンドールでやっと買えたと帰ってきた。
買ってきた車載用のテレビは手のひらサイズ。今のスマホくらいの大きさ。
これを点滴のスタンドにくくりつけて見れるようにしてもらった。
俺の状態は、挿管されてて24時間の点滴、尿のでも悪く尿はブラック珈琲色。水分もとれず腎臓も肝臓も弱っていたと思う。そんな状態でもドラゴンボールは欠かせないというちょっぴりお馬鹿な俺だけどこれが命を繋いだように思う。月曜日にはYAWARA!も放送がある。
一月後くらいからは少年ジャンプも寝たまま読み始めた。
天井の点滴下げるヤツに紐を付けて右手を吊り下げて本をめくれるようにしてジャンプを読んでた。
今も昔もやりたい事をやるためにはいろんな工夫をしていた。

この当時、俺がナースコールも押せないので母はずっと泊まり込み。

退院してすぐ近くの県営住宅があたり引っ越した。

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